第35回 未来を語る
この春、幾つかのサイエンスフィクション(SF)の対談や講演を聴いてきました。そんな中からの話題です。
未来語り
未来の生活を物語として見せることは基礎研究や新事業を提案するときに用いられる手段です。
その製品やサービスがどんな生活や価値を提供してくれるのか。
だれがどんなシーンでどのように使うのか。
そんな未来シナリオを、SFは作品として見せてくれる思考実験にヒントをくれます。
SFの語る未来
もし、を物語の形にして語る作品はどこかにSFを感じます。それは未だ来ていないちょっと先の時間を語ることかもしれませんし、未だ無いモノを語ることかもしれません。
SFには物語を面白くさせるための嘘が含まれています。そこを科学や社会であり得る仮定にした時私たちの未来を考える助けになるかもしれません。
数年内の未来
一昨年Kindleの自費出版でデビューし、日本SF大賞を『オービタル・クラウド』で受賞した藤井太洋氏は近未来SFは大きな変化の前、書けるうちに書いておかないと作品の寿命が短いのでとおっしゃっていました。
今の東京なら東京オリンピックの2020年が一つの区切りでしょうか。
思った以上にSF作家は意識的にテクノロジーレベルを考えてそれをエンタテインメントにするために操作していることもわかりました。
遠い未来に今を写す
シンギュラリティー後の世界、遠い未来を描いたハンヌ・ライア二エミ(フィンランド)の対談も聴きました。
最先端科学のその先に見える奇想の世界に『怪盗』を登場させる。
義務と権利の厳格化、不死とも言えるものを得た社会で何を盗むのか?
世界観を構築しそれを小説として読者に楽しんで読んでもらう作品にするには。作家の重点、面白いSFのポイントはそんなところにありそうです。
本当の未来は理解しにくい
ちょっと未来すぎて万人にハンヌ氏の描いた世界を思い描けるだろうかという心配もあります。そこには今から続く文脈が無いと理解できない。
藤井氏はその点、近未来は今の人を登場させられることが利点と語っていました。普段の生活で見聞きしている人物がいれば描く世界を知るきっかけになるからそういう人物をあえて入れたりするのです。
どこまで考えて生きるのか
日本の第1世代のSF作家 豊田有恒氏へのインタビューも聴きました。この人たちの活躍で僕らはロボットや宇宙について空想とはいえ過去に描いた未来像を目にしながら育って来られたのだなと思います。印象的だったのは手塚治虫氏のアイデア出しのエピソード。枠をはめないその発想が、「手塚先生の描いていないジャンルは無い」とも言われる源泉なのでしょう。
面白い作品を思い描くことと未来の社会を思い描くことを重ねられた世代だったのだろうなと思いました。
あなたの描く未来
私たちは彼らから見た未来に生きているのでしょうか?
著名なSF作家A・C・クラークが記したノンフィクション『未来のプロフィル』で描いた未来もそうそう当たってはいないのですから。
エンタテインメントとしてのSFが語り尽くしていない、まだまだ語れる未来はあると思っています。
皆さんは、何を思い描きますか?