第46回 博物館の憂鬱
今回は、最近の博物館や動物園、水族館で思ったこと。
博物館の使命
先日の温室の話では建物のリニューアルについてでしたが、基本的な不満点としては、展示スペースと植物の展示数が少なくなったことが気になるポイントでした。
博物館は資料を収集分類し、研究保管すると共に、収蔵品を公開して教育に資するとか。
博物館法に記述されています。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26HO285.html
博物館法第2条抜粋
この法律において『「博物館」とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関』この後は公的施設で博物館と名乗るための条件が記載されています。
収蔵品哀歌
強力な光は収蔵品を傷めます。だからフラッシュ撮影はNGとなっているのにパカパカ焚いてる大人がいてがっくりくることもあります。
これはフラッシュ撮影禁止というルールを守れない来館者の問題です。
展示側の問題として収蔵品を見せる工夫を放棄したり、劣化に任せるような危惧を抱かせる展示があります。
アートの名の下に
レクリエーションが
目的に含まれていますので、展示に興味をもってもらうために、アートとのコラボレーションも一つの手段でしょう。
ただ、最近の傾向として収蔵物を知るというよりもアートの素材として収蔵物を使う傾向を感じています。
産業遺産の意義
先日、リニューアルした国立科学博物館の地球館。
産業発展の歴史でコンピューターマザーボードや真空管を壁のオブジェのように扱っていました。キャプションとの対比番号は見にくくマザーボードは薄暗い青色照明で構成も搭載チップも実装の違いもわかりません。
同じ科学博物館の子供向け施設はジャングルジムに剥製を飾っています。
野生動物の形態をしっかり見せるというよりはその場の雰囲気重視に思えたのですが。
図書の悲鳴
今話題の建築家の建物、司馬遼太郎記念館では、書庫として直射日光などを避けるという条件を無視したような開架(しかもほぼディスプレイ目的で中身が見られない。)は収蔵されている本にとっては残念な環境です。
せめぎ合う価値観
入場者数や施設そのものの驚きで博物館が評価されがちなのではないかと思います。収蔵物のことを知りたいという思いの敗北でしょうか。
知ってもらうことが第一。予算は来場者数が決める。廃館。
知ってもらうことから深く知ってもらうことに。
収蔵物そのものの意味や謎をひもとく楽しみ。そういった博物館の楽しみ方を忘れないようにしたいです。